オトナの創作童話シリーズ その1
シューズの伝説。
(注)この作品はフィクションであり、いかなる団体・人物とも関係ありません。
神様は、雲よりも、星よりも、もっともっと高いところから、 うっかり薄汚れたシューズを落としてしまいました。 そこは、日本という国の、土埃舞う国の、 片隅に落ちたのでした。 ◇ 背の小さくてすばしっこい少年は、 幼稚園の片隅に転がっている、薄汚れたシューズを見つけました。 「なんだきたねぇな」 「それよりも黄金バットだよな」 「王はやっぱりすごいよ、ナボナだよ」 他のおともだちは薄汚れたシューズには目もくれず、 棒っきれや革の大きな手袋、オロナミンCに夢中でした。 でも、背の小さくてすばしっこい少年は、 その薄汚れたシューズが気になって気になって仕方ありませんでした。 手にとってみると、土埃にまみれたシューズは、 彼の目には輝いて見えました。 大きさも少し大きめだけど、履くことができそうです。 右足をそぉっと入れてみました。 なんと、ぴったり入るではないですか。 いや、正しくは、そんなにぴったりじゃなかったのですが、 小さな少年にとっては、入ったことが奇跡のように感じたのです。 おそるおそる左足を入れると、 これもまた入りました。 ぽん、ぽん。 飛びはねたり、足を動かすと、 なんともリズミカルに身体が動き出します。 なんとなく、このシューズを履いて、走りたい気持ちになりました。 トコトコトコ。 少年はすばしっこいほうでしたが、 なぜかこのシューズを履くと、 いつもよりもすばしっこく走れました。 そして幼稚園の片隅に転がっている少し大きなボールを蹴ると、 おともだちがビックリするくらい鋭い弾道を描いて ボールが空を飛んでいきました。 そのとき、神様はささやいたのです。 「サッカーって、知っているかい?」 ◇ 小さくてすばしっこいだけだった幼い少年は、 それからシューズを大切に大切に磨きました。 時に喜び、悔しがり、悲しみ、でもまた前を向き。 シューズといっしょに歩き続けました。 まわりのおともだちが他のものに熱中していても、 彼は来る日も来る日もシューズを磨きました。 「ぼくのたいせつなたからもの…」 かけっこも早くなり、ボールを蹴る力も強くなりました。 来る日も来る日もシューズといっしょに走りつづけました。 少しずつ大きくなっていく少年は、 愛くるしい童顔はそのままに、 どんどん速く走れるようになりました。 どんどんボールを扱えるようになりました。 土埃舞うグラウンドを駈けめぐる少年は、 いつしかシューズといっしょに大きくなったのです。 シューズも、少年の成長に合わせて大きくなっていったのです。 ◇ 成長していった少年は、 学校でも優秀な成績をおさめ、 その快活で豪快だけど繊細な性格をそのままに大きくなりました。 誰もが少年が大きくなる、すごい選手になると思いました。 ただ、土埃舞うグラウンドにいたわずかな人だけ、でしたが。 ◇ いつしか少年は立派な青年になり、 サッカー選手になりました。 学生ではなく、社会人としてサッカー選手になる。 そのために、育った街より少し北の街に引っ越しました。 それでもあの時のシューズといっしょです。 彼は、シューズを信じていました。 「これまで22年間いっしょにやってきたシューズといっしょなら」 「どこまででも行ける」 ◇ ところが、行った街はサッカーの歴史ある伝統ある街でしたが、 入ったチームはいきなり2部落ちし、 お客さんはいるのかいないのか。 誰も見ていない土埃舞うグラウンドに、彼は立っていました。 でも、彼は信じていました。 自分にはこのシューズがある。 今までやってきたことに間違いはないんだと。 ◇ 新人ながら、チームを1年で1部に昇格させる原動力になった彼は、 翌年には芝生できれいに整備された それはそれは立派なグラウンドに立っていました。 気がつけば、ものすごい数のお客さんの前で サッカーができるようになりました。 シューズも心なしか、きれいに磨かれたように光っています。 シューズを信じて走り続けたことは、正しかったのです。 しかし。 チームはここから泥沼にはまります。 栄光の歴史を刻むチームは、残念ながら負け続け、 なかなか勝つことができません。 それでも彼は走りつづけました。 「僕には走ることしかできない」 「ボールを蹴ることしかできないんだ」 シューズを信じて走りつづけました。 ◇ お客さんたちは、その姿を見て、彼に惚れ惚れしました。 「彼がいるだけでいい。俺たちは応援するよ」 街の人々は、負けつづけてやさぐれているはずなのに、 彼に暖かい眼差しを送りつづけました。 そんな眼差しを一身に受けた青年は、 力を得て、前へ、前へと進んでゆきます。 「僕は信じている、このシューズを」 ◇ ある年、新しい監督が外国からやってきました。 気難しい外国人は、今までと違うことをいっぱい言い始めました。 でも、彼は一生懸命に話を聞いて、走りつづけたのです。 「だって、走りつづけて、ボールを蹴ることしかできないから」 気がつけば、シューズが金色に光っていました。 得点王を取ったのです。 チームはもちろん、日本人でも初めてでした。 信じて進んできたことが、正しかったと思った瞬間でした。 彼は誇らしげにシューズを掲げました。 「僕の大切な宝物…」 ◇ でも不幸は突然訪れます。 今までは走りつづけても大丈夫だった身体に、 ガタが出始めました。 走りつづけた彼の身体は、 自分が思うよりも蝕まれていたのです。 彼を信頼し、力をくれたて監督も、 残念ながら事情があって遠くの国へ行ってしまいました。 そして、彼自身、何度も大きなケガをしてしまいます。 順調に見えた彼の人生に、大きな影が落ちてきました。 あまりの痛さに言葉も出ない日が続きました。 あまりのつらさに涙を流しそうになる日もありました。 それでも彼は、その大きな瞳を見開いて、 前を見つづけました。 「負けられない、シューズを信じるんだ」 薄汚れたシューズを抱きしめながら、彼はつぶやきました。 「また、彼等と一緒に闘いたい。だから、信じる」 「泣いてたまるか」 ◇ シューズは少し汚れてきましたが、 まだ彼の身体を支えていました。 また走り始めました。 昔より足が遅くなった分、頭で一生懸命考えました。 少しずつ、体が動き始めました。 そのとき、また彼を不幸が襲います。 2部降格。 ケガをしても泣くものか、と思っていた彼は、 試合を終わらせるゴールを自ら決めた時、号泣しました。 言葉になりませんでした。 「あなたのシューズを信じてきたのに」 「そんな仕打ちをするのですか、神様」 「僕を信じてくれる人たちまで不幸にするのですか」 街中を悲しさが駆け巡ったこの日、 彼はもう一度思いました。 「それでも走ることしかできない」 傷ついた身体と心をおして、走りつづけたのです。 「自分を信じてくれる人たちのために」 「自分はシューズを信じて走る」 そして1年で1部に昇格することができたのです。 ◇ 神様は、そんな傷ついた彼に、そっと囁きました。 「そろそろシューズを返してくれないかね」 「キミは十分走ってきただろう」 「もうボロボロになったシューズは脱いだらどうだい」 「キミももうボロボロになっているじゃないか」 彼はまだ自分がボロボロだなんて思ってもいませんでした。 確かにシューズはボロボロになってましたが。 彼をよく理解する大仏さんまで登場しました。 「キミは十分頑張ってきたよ」 「いままでのご褒美をあげるから」 「どれだけ走れるか試してごらん」 そういって、その昔オリンピックの会場になったスタジアムで、 このチームにはじめての栄光をもたらす最後のチャンスをくれました。 「走りつづけてやる」 「僕を信じてくれる人たちのためにも」 ◇ 彼は走りつづけました。 痛みを感じる足も、何も、全てを忘れて。 神様も大仏さんも何を言おうが関係なく。 ずっと走りました。 力の差を感じながらも、走りました。 ボロボロになりながらも走りました。 ◇ 無情にも、ホイッスルが鳴り響きました。 わずか1点。 しかし、無限大のように違う1点の差で負けてしまいます。 彼を信じる赤い服を着た人たちが、 悲しさのあまり動けないでいます。 「なにが足りなかったんだ」 そういう彼のもとに、神様はささやきました。 「キミにはチャンスをあげたよ。」 「もう時間がないんだ、シューズを返しなさい」 ◇ 彼は悩みました。 シューズを返しても、走る自信はありました。 神様に怒られようと、大仏さんにイヤミをいわれようと、 自分の力を信じてやっていけると思いました。 でも。 彼を信じてきた人たちを裏切ることはできませんでした。 いまさら、赤い服以外を着ることはできませんでした。 多くの時間と感情を共有しすぎました。 随分長い間考え悩みつづけましたが、 彼は決意しました。 「わかったよ、神様」 「シューズは返すよ」 ◇ 彼がシューズを返す日。 雨空の中、旧友達が集まってきました。 来れなかった人たちも遠くからメッセージを送ってくれました。 懐かしい顔が集まります。 何人も何人も。 彼がシューズを見つけたグラウンドは、 土埃舞う中でしたが、 今日は違いました。 きれいな芝生の上で神様に返すことができます。 「神様、本当にありがとう」 「僕はこれだけ走ってこれて幸せだった」 彼がシューズを脱ぎ、空にかざすと、 シューズは不思議にも彼の手から離れていきます。 薄汚れてボロボロのシューズは、 少しずつ天高く昇っていきました。 寂しい思いを隠し切れない彼に、 神様は囁きました。 そう、優しい、優しい、笑顔のまま。 「もうキミはシューズ以上のものを手に入れただろう?」 「よくみてごらん」 「シューズより大切なものが、キミをまっているよ」 数多くの旧友達が、 そしてスタジアムを包む大勢の「仲間」達が、 彼の門出をお祝いしています。 「そうか」 「もうシューズがなくても歩けるんだ」 「僕には彼等がいるじゃないか」 そう、埃まみれのシューズは、 彼に誇りを持つ心を残してくれたのです。 大勢の彼を信じる仲間達とともに。 もう彼の走る姿をみれなくなるのが残念で、 多くの人は泣いています。 でも、門出を祝って、泣き笑いです。 怒号のように鳴り響く歌が、 歌を歌う仲間達が、 そして、いっしょに走ってきた旧友達が。 彼の信じることができるものが、 この街にあったのです。 そう、それはまるで、 多くの宝石をちりばめた宝石箱のように、 きらめく無数の輝きを見せていました。 「僕の宝物は」 「この街にあるじゃないか」 そうして彼は、旧友達の中に飛び込んでいきました。 ◇ いつしか人は大きくなって、 いろいろなものを失っていきます。 でも、それはきっと未来に通じるドアのようなもので、 本当に失ったのではなくて、 ドアをあけて他の部屋に移り、 違う光景を見ることができるようになっただけかもしれません。 ほら、またシューズが落ちてきたみたいですよ。 でも、今度は芝生の上、みたいですね。 ……もしかしたら、 「彼」が落としたシューズかもしれません。 |
…Fin